最近のぼくは”のほほーん”とした生活をしています。
一生懸命がんばっていた時より「幸せだな」と日々感じることができています。
20代の頃は予定が埋まっている自分を「俺は充実した生活をしている」と思っていました。
今思えば無理していたんですよね。
そんな筆者が、無理に行動しなくても普通の生活は幸せだと、感じた理由を解説していきます。
充実した生活とは?

現在31歳なのですが、20代の頃のぼくは
- 大学生の時はバイトにあけくれ、春・夏休みはバックパッカー
- 卒業後、日本の寿司屋で3年間修行
- カナダの寿司屋で2年間働く
- カナダで独立
- 日本で独立
という、10年間のうちに色んなことを詰め込んでいました。
今は日本の田舎に住んで、妻の仕事を手伝い、ブログを書き、投資を勉強している生活です。
客観的に見れば、つまらなそうな生活ですが、ぼくは今の生活に満足しています。
何か新しいことをしたいと思う瞬間があるのですが、「今の生活より楽しいの?」と自分に問いただすと、答えは”NO”となります。
この一見するとつまらなそうな生活が、自分にピッタリすぎて、しばらくの間は現状維持につとめます。
今の生活をしていて気づいたことは、充実した生活とは、まわりが決めるものではなく、自分で感じるものだということ。
”20代の頃は海外に就職して、独立する”ことが充実した生活だと思っていましたし、客観的に見てもそう思うでしょう。
でも海外で独立して感じたことは、「ただ単にカナダで飲食店を経営している」という自慢ができるだけ。
充実した生活とは無関係のものでした。
ぼくの場合は、他人からの承認欲求を追い求めても、本当の幸せは手に入りませんでした。
普通の生活は幸せ?

はっきり言って、幸せの基準は人それぞれなので、淡々とした普通の生活が幸せかどうかは分かりません。
ですが現代人は承認欲求が強すぎて、自分の幸せを見失いがちです。
SNSブームで、世界中で毎日24時間、自慢大会が開かれています。
画面越しに、多くの人の充実した生活を見ることで、自分の生活が劣って見えます。
そして自慢大会の輪に加わり、自分をもっとよく見せようとがんばり、他人からの承認欲求を満たすことが自分の幸せだと錯覚します。
ぼくが思う充実した生活する条件は
- おいしいご飯を食べる
- 好きな人と過ごす
- いい睡眠
- お金に困らない
ということです。けっこう普通のことなのですが、これだけ揃えば幸せな状態で日々を過ごせます。
普通のサラリーマンでも、この生活は手に入ります。
しかし多くの人が、上記であげた充実した生活の条件を満たしていません。
「普通はつまらないから、何かしなきゃ」と焦ってしまうことで、睡眠を削って仕事を頑張りすぎたり、海外旅行などで浪費してしまってたりして、この生活をするチャンスを逃しています。
充実した生活を求めて、新しいことに挑戦する前に、現在の衣食住や人間関係を見つめなおしましょう。
無理に行動しなくてもいい理由

ぼくは根底に「死んだら何も残らない」と思って生きています。
総理大臣になっても、世界的なスーパースターになっても、大企業の社長になっても、死んだら本人にとって何も残りません。
そうなると”目一杯楽しいことをしよう”という結論になります。
逆に”楽しくないことはやめよう”と思っています。
世の中には
- 目標を持って生活しよう
- 独立した方がいい
- どんどん資格をとろう
- 社会人も英語を勉強すべき
など、楽しくもない行動を促されます。
そして何も挑戦しない人は、”普通の人”という悪い感じにとらえられます。
ですが、普通は何も悪くはありません。
自分が普通の生活に満足していたら、他の人の意見はどうでもいいのです。
しかし自分が普通の生活に満足できない人は、本当にやりたいことに挑戦すべきです。
判断基準は全て自分。楽しいと思う方向に進んでいきましょう。
まとめ

この記事をまとめると
- 一般的に良いとされる生活をしても、満足するとは限らない
- 他人からの承認欲求を満たすことが、自分の幸せと錯覚している
- 好きな人と過ごし、衣食住を満たすだけで、幸せと感じられることがある
- 普通の生活、普通の人は悪いことではない
ということです。
今の生活に満足している人は、何か変えようとすべきではなく、現状維持につとめましょう。
ですが時代の流れとともに、現状の生活に満足できなくなる可能性もあります。
そのような楽しめない状態になったら、行動すべき時です。
全て自分の感情に忠実になって行動することが大切です。