「人は歳を重ねると人間的な深みが出てくる」などと言いますが、具体的にはどういう点が変わっているのか?
私(妻)は40歳をすぎました。
外見的には、もちろん20歳の時よりも40歳のほうが衰えています。
でも、その20年間で人間的な深みを得た、と思いたい。
実際に、20歳の時よりも、色々な点で「生きやすく」なっていると感じます。
人生100年時代ということで、これまでの人生を棚卸ししてみることで、これからまだまだ長い(はずの)人生を前向きにとらえられるのかな、と思って、書いてみることにします。
一般的には「歳をとる」ってネガティブなことと思われているけど、「こんなに良いこともあるんだよ」と伝えたい(誰に?)
個人差があると思うので、あくまでも私の場合の個人的な記録です。
自分の考え方

白か黒かをはっきりさせなくても良くなった
個人的にはこれが一番大きいかな、と思います。
白と黒の中間の「グレー」が存在する、ということを知った。
世の中には色々な価値観を持つ人が居て、みんな違って、みんないい。
20代のころなどは妙な正義感を持っていたものでしたが、今は「そういう考えの人もいるんだな」と。
他人はコントロールできないし、他人を罰することもできないのです。
一番近い存在である家族ですら、コントロールすることができないのですから、いわんや他人をや。
たまにSNSやブログなどで、「これは良くないことだから、説得しよう」という意図をもった、いわゆる「おせっかい」な書き込みを見ることがありますが、これは多くの人が持っている「正義感」であると思います。
しかし、この正義感は危ういものでもあります。
「悪いものは必ず罰せられるべき」と思っていると、現実にはそうではないので、自分がしんどくなるだけなのです。
「えぇっ、その意見は違うだろう」って感じることはもちろんあるのですが、その考えをそのままぶつけることはせず、「そういう考えの人も居るんだな」と自分の中で消化させています。
むしろ、「新しい考え方だな」というようにとらえ、そこから学ぶようにもしています。
これは、自己責任の主義であるカナダで長年生活したことと、
「自分と他人の課題を切り離す」アドラー心理学を知ったことが大きいです。
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得意・不得意がわかり、がんばらなくなった

若い時は、大げさにいえば「不得意なことはあってはいけない」という考えがどこかにありました。
「できない」=「努力が足りない」つまり、努力さえすれば何事もできるようになるのだ、と思っていました。
なので、苦手なことは克服しないといけないと思っていましたし、何か苦手なことで失敗したりすると、すごく落ち込んでいました。
例えば、私は学生時代にウェイトレスのアルバイトを何個か経験したのですが、ウェイトレスという仕事は、私にとってはものすごく難しい仕事でした。
一度に色々なことを考えなければいけないし、段取りを考え、無駄な動きをせず、お客様の前では粗相がないように・・・。
これらのすべてが本当に苦手で、しょっちゅうオーダーを忘れたり、水や食べ物をこぼしたりグラスを割ったり、何度も無駄な動きをしたり、忙しい時には一人でオロオロとしている・・・という、びっくりするくらい「できない」ヤツでした。
テキパキと動き回れる同僚が本当にうらやましく、「なぜ私はこんなにバカなのだろう」と落ち込んでいました。
頭の回転がクルクルと速くないことがコンプレックスでした。
しかし、そこから他の種類の仕事では褒められたりすることも増え、「なるほど、ウェイトレスと他の仕事では、使う能力の種類が違うのだな」と考えられるようになりました。
当たり前のことなのかもしれませんが、当時の私は、努力が足りないと思っていました。
なぜか、あの時の私は、「バイトといえばウェイトレス!」と思いこみ、「次は苦手を克服してがんばろう!」などと張り切って、何回も挑戦しては挫折してしまってたのですよね・・・汗
たぶん、今、私が大学生に戻ったなら、ウェイトレスの仕事は1つやってみて諦めて、他の仕事を選ぶようにしているでしょう。
苦手なものは苦手で、克服できるようなものではない、とわかったからです。
百歩譲って、克服できたとしても、自分自身は苦痛でしかないし、得意な人には決して勝てない。
げんに、今でも、全体を俯瞰したり、段取りを考えて動くことはとても苦手です。
家事をする時などに無駄な動きをしまくっていますし、育児などでちょっとしたハプニングがあった時に、思考停止して「えーと、最初に何をするべき?」となり、立ち尽くしてしまいます。パソコンがフリーズするイメージです。
夫に「私、昔ウェイトレスやってたんだけど、向いてないのよね」と言うと「うん、そうだろうね」という返答が返ってくるので、ウェイトレスの仕事をやっているところを見ていなくても、向いていないことが明らかなのでしょう。
また、人の前で話す仕事を10年以上続けたにもかかわらず、「話す」ということが苦手です。
人前で話すことも苦手ですし、1対1のような場面でも、順序立ててうまくわかりやすく伝えるのが苦手。しかも、よく詰まるしよく噛むし。(ほら、頭の回転が速くないのでね)
しかし、文章を書くことについては、まったく苦にならないし、ゆっくりと推敲しながら書けるし、褒められることが多いので、発信はできるだけ文章での形にしています。
若いころの私や、今仕事で悩んでいる20代・30代の人に伝えたいのは、今やっている仕事がすべてではなく、違う仕事で花開くこともあるかもしれないっていうこと。
「私は仕事に向いていない」とか「仕事をやりたくないから専業主婦になる」といったように、今の仕事が苦手だからといって「仕事そのもの」を否定する人も居ますが、それぞれの性格や能力に適した仕事というのはちゃんと世の中に存在していて、合った仕事であればそれほど苦痛ではないですよってこと。
なにも、「天職」である必要はなく、嫌にならなければそれで充分だと思います。
私の場合、「苦手は克服する必要がない」と思えるようになっただけで、ほんと生きやすくなり、万々歳です。
谷があれば山もある、ということを知った
若い時は、落ち込んだらひたすら落ち込みまくり・・・
従来のネガティブな性格も手伝って、落ちるときはひたすら落ちていく一方でした。
そんな性格なのに、外国でビジネス経営なんて、さらに荒々しい道を選んでしまい、当然のごとく様々なトラブルに見舞われて、本当に辛かったです。
しかし、そんな荒波を乗り越えてきたからこそ、「どんなに辛いことでも、後には嬉しいことが待っている」という確信を得ることができました。
なので、今でもどどーんとトラブルに見舞われることがありますが、しばらく落ち込んでも「まぁ、なんとかなるわ」と考えることができるようになりました。
これは、もともとポジティブな性格の人にとっては「当たり前じゃん、40年生きないとそんなこともわからないの?」という感じかもしれませんけど、私にとっては、そうでした。
40年生きて、ようやく人並みレベル?
でも、このことだけでも、かなり「生きやすさ」度はアップしたな、歳を重ねて良かったな、と感じてます。
人間関係

人を職業や肩書きで判断しなくなった
私は自分の会社を経営する過程で、とにかくたくさんの人に会って、話してきましたし、その話の内容も、これからのキャリア設計にかかわるものなので、わりと深いものでした。
そんな経験を通じて、「どんなにエライ肩書の人でも悩みはあるし、普通の人間なんだな」と実感することができました。
今では、どういう職業の人でも物怖じしすぎず対応できると思います。
若い時は、そういう判断基準がなく、職業や肩書で「イメージで」判断するしかなく、なんかエライ風の人がいると、ビビッていたような記憶があります。
単に、年齢を重ねて大胆になってきた・・・だけかな?
友達に正論を言わなくなった
40年生きる中で、本当に辛い経験もありましたが、そんな時に支えてくれる友達の存在は大きかったです。
その中で学んだのは、「友達には正論を言わない」っていうこと。
友達に相談する時点で、すでに自分でも「何をすべきか」というようなことって、わかってるんですよね。
そこをあえて指摘する必要は無いな、と。
また、張り切ってアドバイスをすることもやらなくなりました。
友達って(特に女性の場合は)悩みを聞いて、寄り添って共感して、本人が出した結論を応援してあげること。
それにつきると思うんです。
私は、20代のころまでは、友達だからこそ、正しい方向に導いてあげなくちゃ!っていうように思うこともありました。
でも、上で書いたように、価値観は人それぞれだから「正しい」「間違っている」というのは世の中にはほとんど存在しないし、自分で決める手伝いをしたほうが絶対に本人のためにもなる。
例外的に、年下の人に、アドバイスを求められたら、控えめにアドバイスはしますが、必ず選択の余地を残したり、余白を大事にしています。
「~するべき!」というようには、言いたくないなと。
まぁこれはあくまでも私の意見であり、個人差があるかと思います。
あ・・・夫には「正論で打ち負かす」ことが今でもありますので、これは反省です。笑
金銭面

お金に執着しなくなった
起業してから6~7年ほど経ってからようやくビジネスが軌道にのり、そこからは、わりと目標としていた金額を稼ぐことができるようになりました。
自分でビジネスをやっていると、最初のリスクも大きいし辛い期間も長かったということもあり、「自分の手で稼いだ」という実感が、被雇用者よりも大きいと思います。
しかし、そこで一度目標を達成してしまい、自分の欲しいものは欲しい時にだいたい買うことができるようになったため(そんなにすごい野望も物欲も無かったってことですね)、「なんだ、こんなもんか」という気持ちになりました。
そうなると、ただならぬ喪失感というか「燃え尽き症候群」におそわれ、今でも苦しんでいるほどです。かなりマシになりましたが。
これは、同じ立場の人じゃないとなかなか理解をしてもらいづらく、むしろ贅沢だと言われるくらいですけどね。
それはそれとして、「目標としていた額を稼ぎ、自分のほしいものを自分で買う、という生活はこんなものか」ということを体感できたことは、良かったと思います。
それまで私はビジネスに邁進していたので、ずっとお金のことを考えていましたし、自他ともに認める「お金好き」と思っていました。
でも目標を達成したことで、フッとお金への執着が取れ、今となっては「お金は全然好きではない」と思うようになっています。
贅沢品はあまり買わないし、大きな家や高級車にも興味がなく、夫のように投資にも興味がなく・・・。(ビットコインや投資信託はやっていますが、いったん買うと放置状態です)
さらに、節約にも興味がなく、スーパーなどでも値段を見て買い物をしません。セールやバーゲンも一切行きません。
よく言われることですが、節約をして1円でも安いものを買う、という人はお金のことがとても好きというか、執着していますよね?
私は、極端に高いものを買うこともない分、安さを求めて買うこともありません。
お金に対して、とてもニュートラルな状態です。
本当に欲しいと思うものを、欲しいと思うタイミングで買う。
そういう意味では、若いころに思い描いていた理想の状態になれたのかなぁ、と思います。
何にせよ、収入に見合わない物欲があったり、1円単位での節約をするのってとても苦しいので、そういう状態から抜け出して、とても生きやすい状態です。
お金で解決できるようになった
「節約をしない」というのにつながるんですが、ビジネスを始めてから特に、「お金より時間や健康のほうが大事」と、心の底から思うようになりました。
健康は特に最近になってからのことなのですが、「時間のほうがお金より大切」という気持ちは昔からあります。
ビジネスをやっていると、「目の前の(少額の)お金と、自分の時間と、どちらが大事か」という選択を毎日のように迫られます。
例えば、外注をするかしないか、クレーム顧客の扱いをどうするか、などですね。
そしてほぼ確実に、「自分の時間」を選ぶほうが、ビジネスにとっても良い結果になるのです。
そのことを、数々の経験を通じて嫌というほど思い知らされてきたので、これは私の人生訓のようになり、仕事だけではなく生活のいたるところで生かされています。
なので、何かの判断をするときに、その判断基準は常に「お金以外」のことになっています。
これを世間では「お金で解決する」と揶揄されるわけですが、私はお金で解決できるものはむしろ絶対にするべきだ、と思っています。
お金は、いつでも稼いで取り戻すことができる。
でも、お金を基準にしてしまうと、タイミングを逃したら二度とできない経験を逃したり、健康を害したり、人間関係にヒビが入ったりするんですよ。
これは本当に真実です。
「お金で解決できるってことは、お金があるってことだ」という意見もあるかもしれませんが、お金を判断基準にして生きなければ、自然とお金は稼げるようになっていく、というのが私の持論です。
変わらないこと

一方で、20代のころと変わらないことも、当たり前ですが、あります。
その中で、年齢とともに変わっていかないように、自ら心掛けていることと、これから変えていきたいことの2種類に分けて書いていきます。
変わらないように心がけていること
買い物にチャレンジ精神、時代についていく
主にガジェット関連、IT関連、ファッション・美容関連、ビジネス関連ですが、時代には遅れずピタッとついていきたいなと思っています。
やはり人生100年時代、できるだけ長く仕事を続けるためには、情報をアップデートし続けることが必須だと思います。
そして高齢者になっても、新しい考え方を取り入れることで若々しく居られるのかな、と。これって急にできることではなく、まず「取り残されない」ことが大事だと思っています。
新しいSNSが出てきたりすると、40代になるとネガティブな感想から入りがちですが、先入観を持たずに、まずは試す!ということを繰り返していきたい。
ファッションも、最近の流行は、正直かなり私の好みとは違う・・・と思ったりするのですが、果敢に挑戦!
実際に着てみると、成功も失敗もありますが、それぞれにとても面白いものです。
自分では絶対に似合わない!って思っていたものが、意外に似合ったりね。その反対も。
今の高齢者を見ていると、本当にみんな同じような服装をしている、と感じるのですが、もちろん身体上の理由で選択肢が少ないということもあるのでしょう。
しかし、おそらくこの高齢化社会で、選択肢も増えることと思います。
そんな時に、まだまだファッションを楽しめる自分でいたいなと思ってます。
自分を「おばちゃん」と呼ばない
40歳を過ぎると、世間的には「おばちゃん」の年齢であることは重々承知しているのですが。
でも、人生100年時代ってことを考えた時に、人生の半分以上を「おばちゃん」として過ごすのって嫌じゃないですか?
もちろん、他人が私のことを「おばちゃん」と呼ぶのは自由だし、止められませんが、せめて自分では自分のことを「おばちゃん」とは呼びたくないなと。
友達の子どもなどに話かける時に「おばちゃんはね・・・」と自分のことを言う人も居ますが、私は「私はね・・・」で行きます。笑
できれば変えていきたいこと
長い記事になってしまったので、ここからは私の所信表明ということでさらっといきたいと思います。
ここからの人生で変えていきたいことです。
人を許す、負けるが勝ち
これは夫に対してです(笑)
あまりケンカをせず、許すことを覚えたい・・・
打ち負かすのではなく、負けるが勝ち、という境地にいきたい・・・
と、実は思っていたりします。しかし、先は長そう!
好きなことを見つける
まぁ、これは好きなことがある人のほうが稀なのかな。
ずっとやっていられるような好きなことがある人は私の永遠のあこがれです。
無理かなぁ。
時間をゆったり過ごす
上にも書きましたが、私は人生で何よりも「時間が一番大切」って思ってるので、ぼーっとしたり、無為な時間を過ごすのがかなり苦手です。
しかしこのせいでデメリットも生じるし、マインドフルネス瞑想が大事というのもわかってきているので、少しはぼーっとする時間が作れるようになりたい。
過去を忘れる
私はかなりネガティブな思考の持ち主なんですが、ネガティブ民はたぶんみんな「過去にとらわれて」生きています。
- 過去にあった嫌なこと、恥ずかしかったこと、大失敗したこと
- 過去に、少し間違えたら大惨事になりそうだったこと
こういったものをふとした拍子に思い出してはギュッと目をつぶり、冷や汗が出たり悪夢にうなされたりしています。
これを「フラッシュバック」と呼ぶそうですが。
これは、みんなあるものだと思ってたんですが、夫に話すと「そんなことは無い」と言うので、まぁ個人差があるのでしょう。
完全に無くすことはできなくても、せめて頻度を少なくしたり、なんとなく水に流したりできないものかなぁ・・・と思っています。
人生後半戦は、前だけ向いて生きていきたいものです。